c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

取り返しがつかないことなんてないけど

取り返しのつかないことはない。
スマホで書いてる。
もう、3記事も書いてる。
設定やデザインもいじった。パソコン触ると、子がぱちぱち打ちたいと泣くのでスマホなのだ。

子供はかわいくてならない。
けど、ちょっとメンタルが転げ落ちるとかわいいのに可愛さを感じられない感じなくてはならないのにできない、なぜなら世界への認知が壊れてるからなので、ひどいイメージがわくけれど、それは全部妄想なのだとわかりながらあらがえない。
だからわたしは泣いてしまう。泣かないでも、もうだめだとかなんとかぶつぶついう。
そういうとき、子供はわたしの髪をちぎったりする。よしよしとなでてもくれる。
笑うこともあるし、泣いたりもする。
わたしに、なにかおかしいことが起きてるとわかってるかもしれないし、わかってないかもしれない。

とりあえずピングーをみせる。今一番ピングーだから。
ピングーをみるのと歩くのが一番楽しいようだ。あと、お皿を重ねて片付けをするのが、子には楽しいらしい。

少しでも余力があれば、そのかわいさで回復する。
けれどその余力もないと、かわいさをわかっているのに、受け止められないという苦しみで自分を責めてどんどん悪い方向にいく。
一人だと止まらない。


取り返しのつかないことは、もとに戻らない何かをすることだけど、それをしないためにまくらに突っ伏せるわたしはとても偉かった。

昨日と今日は、なにかとてもずれてしまっている、なにも原因は思い当たらない。
梅が咲いて、風が吹いて、空はこんなにも青いのに、わたしはそれを、言祝げず、そんな美しさがむしろ追い詰めてきて、自分が、小さく惨めな生き物だとわかりやすく示されてるような気がする。


それでも、外を歩いて日にあたって、体があたたまると、頭の中のうるさい声や記憶が遠ざかることもあるし、一瞬でも生きていてよかったと思える。
風が吹いていて、空が青くて、日が暖かい。
お腹がちょうどよくいっぱいで、コーヒーがおいしくて、鈴を振るような声で子が笑う。