買い物依存症かもしれない
私の人生はあまりぱっとしない。
運よく楽しい家庭を築くことができて、これ以上の幸せはないと思うが、対外的にはぱっとしない。
でも、ぱっとした人生って何だろう。グレードギャッツビーみたいなやつかな。
パーティと名声におぼれるようなやつがぱっとした人生かな。
ぱっとした人生にあこがれているけれど、具体的にはよくわかっていないかもしれない。
一日の中で死にたいなと思う瞬間はあるけれど、薬を飲めば収まる。だから、今はコントロールできていて、穏やかな日々。
ただ、ドラマチックではないから、少しつまらない。
買い物依存症かもしれない
心理療法士さんには、双極性障害やPTSD、ADHDのもろもろのことを相談している。
買い物のし過ぎも、双極性障害の躁状態の時の症状の一部として、相談している。「気が大きくなって買ってしまう」に該当するか、それとも依存症かどっちだろう。先日は、お金はどうしているのか心配された。
https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2018/04/13/102935/ (セックス依存症になりました)を読んで、もしかしたら、自分も買い物依存症かもしれないと思った。焦燥感に駆られて、苦痛から逃げるために刺激を求めるところが同じだと思った。
だから、医学的には、買い物「依存症」ではないかもしれないけれど、自分ではそういう風に考えて対処したほうがよさそうだと思った。
ドラマチックな生活
ドラマチックな時は、いろいろおかしいことをしたから大変だった。破滅に突き進んでいたというか。お金の使い方がまずかった。と、今は思う。
当時も実は、やばいとひりひりするような感覚があって、その焦燥感を紛らわせるためにさらにお金を使うという悪循環にはまっていたけれど、退屈はしなかった。
退屈すると、自分の過去を振り返るループにはまってしまい、苦しいので、それを紛らわせるために買い物をした。そして、お金を使うこと自体は苦しい。罪悪感がひどくて、一人暮らしなのに自分に見えないところに隠したり、買ったものを積み上げて、そのまま使わずに捨てたこともある。
必要もないのに買っている
私の買い物は生活必需品を買うためのものじゃない。
自分の苦痛を飛ばすための刺激のための買い物だ。その時は本当に欲しいと思っている。でも、手に入るといらなくなる。
そういう繰り返しをしていることには気づいていたのに、どうにも止められなかった。
わたしのパターンは二千円くらいのものを次々と買ってしまうというもの。
何万円もするものは怖くて買えなかった。
生活はひっ迫した。一番悪かったのは、家族の財布からお金を抜いたときだ。あとで、もらったよとは言ったけど、深夜に家の中をぐるぐると回って家にいられなかった。小銭を探し回って買い物に充てようとしたこともある。貯金が亡くなっても、借金しても、止まらなかった。
買い物衝動を抑えられた日
買い物依存症を抑えるきっかけになった日のことはありありと覚えている。
ズッカの服を見て、三万円だなと思った。
そして、いつも使っている額より少ないなと思った。
(使っていた額を書くのは勇気がいる)
計画的に使ったら、これは買える。
でも、私はこれを買わないでいても、普段、お金をごみに変えてる。ごみを買ってごみにして捨ててる。
お金をどぶに捨てている。
でも、この服を買ったら、自分は計画的にお金を使う、という自信がつく気がする。
そんなことは、いつも願っていたけれど。
買い物をして、買い物が収まるなんて馬鹿な話はないけれど。
でも、これが欲しいな、と思った。
毒を以て毒を制すみたいな話だな。
自分を信用していないが、自己愛は強い
今日はお金を使わないでおこう。一時間は買い物を我慢しよう。それができたら次の一時間我慢しよう。一時間を二十四回繰り返したら、一日お金を使うことを先延ばしにできる。
自分は必要な買い物と、苦痛から逃げるための買い物の区別がつかない。
本当に欲しいものを買いたいと思うけれど、欲しいと思った瞬間はいつでも真実なように思い、今買いたいと思ってしまう。
そういう習性を記録した。その日の日付のところに、カレンダーに欲しくなったものを書いた。そして、保留した。
そうすると、時間がたっても欲しいものと、時間がたって「あれ、これが欲しかったんだっけ」と思えるものと分けられる。
病院の先生には、「保留にしておくうちにどうでもよくなる。それが生活だ」と言われている。
大事なことはあまりないから、たいていのことは保留にしておいて、忘れることはどうでもいい。忘れるということがポイントだ。それでも期限が迫ったり、どうにもならなかったことだけ対処すればいい、という意味らしい。
記録して、振り返る、そして、対処するというサイクルが、少しずつ私をましな人間にしている。
買い物リストを作った時もあったけれど、それはむしろ、欲しいものへの執着を強めて、逆効果だった。
私は自分を信頼していない。信頼していないからこういうことになっているんだろう。自信もない。自分を信用できていたら、破滅的な散財はしないはずだ。そういう気がする。
だから、自分との約束を守れるようになったら、うれしいだろうと思った。
私はお金を貯めてズッカの服を買った。お金を貯めるのに時間がかかったから取り寄せになったけれど買えた。
それで、計画的にお金を使うことができる場合もあると思えた。
自信がついたというにはあまりにもしょぼい。
しょぼいけれどそれが自分だ。
落ちはないし、止まってもいない。
ただ、散財に関して、私は異常だし、それに気が付いたので、普通になりたい。