c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

愛とは何か

愛の極限は、やっぱりうんこを片付けられるかどうかだ。

わたしの伴侶は、わたしのことを好きだと言ったので、これは前提で考えていいだろう。私のほうは、昔飼っていた犬と同じかそれよりは大事だと思っている。好きかどうかはわからない。彼がうんこをもらして、シーツを汚したら洗うかっていうと、洗わないと思う。自分で洗えよと思う。子の分はちゃんと洗います。それが愛です。

結局のところ富めるときも病めるときも、の意味は「うまくいって調子こいてないがしろにしてきたとき」も「病気になってうんこ垂れ流した上に貧乏になっても」くらいの意味なので、やっぱりうんこを基準にすると間違えないと思う。

 

わたしは、伴侶がいないと困る。いると、便利だなと思う。家計簿つけてくれるし、お金も稼ぐし、散歩に連れ出してくれるし、洗濯物一緒に干してくれるし、たたんでくれるし、三食一緒に食べてくれるから過食も減ったし、話し相手になってくれるしさ。

 

でも、わたしに感謝しろよとも思う。切腹してまでこどもうんでやったし、貧乏だったころ、居候させてやったし、法律的な問題に対してアドバイスもしたしさ。食事も作ってるし。アルバイトもしているし。

 

彼は、物音を立てなかったし、足音をさせないで歩いていた。

自発的に話しかけることもできなくて、周りをうろうろして、気が付くのを待ってた。これって、一緒に暮らしていてもそうだったんだ。いろいろあって、彼はすごくおびえていたんだ。

最近は物音を立てて動くし、足音もするし、十回に一回はわたしに話しかけることができている。だいたいは、わたしが気が付いて「何?」って聞いてるからすごい親切なんだけどさ。あー。わたしって、超いいやつじゃない?今日は掃除機もかけた。

 

トイレットペーパーを切らさないとか、コーヒーの粉が終わったとか、めんつゆ、アリエール終わった、とか、そういうのを共有して一緒に買いに行くとか、機械だとか家具の修理はわたしのほうが得意だからわたしがするけど、書類仕事は、向こうがやるとか。書類の記入、自分の名前からしてまちがえるんだ、わたしは。

 

 

明日は、どこに行こうかな。どこか、家族旅行に行ってもいいな。今月はあまりお金使わなかったから、ちょっと出かけたっていい。ドライブして、おいしいものを食べて、まねっこ遊びを覚えた子供と、一緒にいろんなものを見るんだ。きっと手をたたきながら、げはげは笑ってくれるだろう。