c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

書くときのスタンス

わたしはいろいろあって、人に騙されたり利用されたりするのが嫌になった。

でも、騙されたり利用されたりは今後もするだろう。

 

マチュアで書くことの意味を最近考えるのだけれど、それは誰からもお金をもらってない強みなんだよね。

だから、しがらみに囚われず、好きに書くことができる。

裁判を起こされても、言うことを曲げないつもりだから、そういう場合のために裁判費用も貯めている。あまりにも度を越えて理不尽なことがあったら、ちゃんと対処することも考えている。それでお金を貯めている。

 

わたしは本気で、自分の言うことを大事にしたいと思っている。

まあね、たいしたこと言ってないんだし、影響力だってないんだけどさ。

 

何で書くのかっていうと、一回か二回か三回死んでいるんだよね、それで、今も生きているのか、死んでいて夢見ているんじゃないかわからなくなる。離人症の症状が出てからもう二十年くらいたつけれど、楽なんだよね。苦痛から切り離されるから。

でも、生きている実感がなくなるから、人生が実際よりも短く感じられる。

極端なことを言えば離人になって、十年たてばその十年がないのと同じなんだよ。

 

それで、何回か死んでるかもしれないんだから、死なないように、つなぎとめるように文章を書いているところがある。

書いてないと、自分が生きているのか死んでいるのかわからないんだよね。文字になると確認出来て安心する。ああ生きているんだなってわかる。

文字を打つと、どんどん右側に字が増えていくでしょう。手を動かすと画面に字が増えて行って、字と字がつながって言葉になって言葉がつながって文章になる。

そうするといいたいことが伝わる。わたしは生きていて、誰かに意思を伝えることができる。誰も読んでいなくても。

 

 

海の中に、手紙を入れた瓶を放り込むのは、信じたいからだ。誰かが生きていて、自分を見つけてくれるんじゃないかって。みんなゾンビになっていたとしても。

それくらい、わたしにとって、文章を書くことは、意味があって……、意味がない。

 

意味がないのは、むなしい行為だとわかっている部分。みんな、読みたいように読むから意図したようには読まれない。わかっているけれど、つらい。

 

人と人とのつながりなんて、あるようでなくて、期待したら裏切られて、思っていたのと違っていたり、なまじ知り合っていたから、攻撃の対象にもなる。

 

相変わらず半分引きこもりだから、ネットという、人間関係を築く場があるのは貴重だ。普段知り合えない人と知り合えるしね。怪しい人もいっぱいいるから危険だけど。サメがいる海に生身で泳いでいるみたいだ。ほとんどは海水で、海の底は暗く、得るものは乏しい。でも、楽しい。溺れるかもしれない。そういう感じ。

 

溺れるかもしれないと思いながら怖いネットに物を書く。でも、今までの経験上、これ以上嫌なことって東京湾に沈められるとかそういうやつな気がするんだけど、これ以外に、思いもつかない嫌がらせがあったらいやだなあと思う。

と、こういうことをされたらいやだなあ、と思いながら言いたいことを書くのだった。それがわたしのスタンスだ。