c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

隠し事をしないこと、機械的に行動したい

やっぱりネット通販をしてしまった。

でも、良かった点は事前に相談したこと、隠れて買わなかったこと。
秘密にして隠れて買うと、際限なく止まらなくなる上、罪悪感で惨めな生き物になった気がする。
泥の中でうごめいてるかわいそうななにかに。


でも、これが素敵でほしいといえると、ほしいものを買ったと思える。



選んでいると、だんだんそれがほしいのかほしくないのかわからなくなる。
だってなくったって、生きてこれたのだから、それはなくても構わないものだ。

で、ほしいかどうか、わからないなら、買わないという決断ができないのが病気。
でも、言えるようになったことは進歩だ。
絶対責められないのに、悪いことをしてるように過ごしてきた。でも今日は、こそこそしないですんだ。


春はいつも具合が悪い。気温はエアコンで一定に保っているから、気圧が不安定なせいだろう。


今朝は午前2時に起きてから寝付けず、8時までごほごそなにかしていた。
Twitterしたり、ネットの買い物サイトを見て、いろいろ探した。
何を探してるかというと、刺激。
ほしいものなんてなくても、見てると執着が生まれてきて、自分のものにしたくなる。それがスリル。焦ることが生きてると感じるための刺激になる。

広告は、消費者に、あなたには足りてないものがある、それがないから今不幸なのだ、でも手に入れることができたら、幸せになると夢を見せる。

欠落を示して、それが満たされたら、幸せになれるのだと暗示をかける仕組みである。

わたしはそんなことは、百も承知で、自分から暗示にかかりに行く。消費したいものなんてなくても、消費せざるをえないように、ほしいものを作り出す。
ほしくないのに、ほしいと思いつめる状況をつくる。
同じものを何度も繰り返しみているうちに、本当に自分のものだと思いこんで、錯覚する。
もはや、自分のものだからそれを人に取られることが耐えられない。だから焦って、なんとか買おうとする。
欠落と幸福の嘘は、執着の対象を自分の手元に置くことで完成する。そして、やっぱり空虚な夢だったとわかる。

それがわたしの「ほしい」の仕組みだ。

自然にほしくなるんじゃない。人工的に、ほしいを作る。

広告を探して、欠落を探して、それが手に入れば幸せになるのだという嘘の囁きにのって、幸せになりたいと思って買う。
でもそんなことが、幸福に続く道なはずはなくて、広告が嘘だとわかっているからいつも虚しくて、それでもどうにか幸せになりたくて、ものを得るために、ひりつくような焦りでいっぱいだ。

次に、これから書くことは目標である。
できたらいいなと思ってること。
つまり、試みてはいるけど、まだ成功はしていないこと。



朝起きるときは体を起こすことだけ考える。  
布団をはがすことだけ考える。
起きようと思わない。そうしたら挫折するから。

運動しようと思わない。ストレッチポールにのることだけ考える。ポールにのれば、勢いがついて、だんだん意欲が出て、結局一時間ストレッチできた。

スモールステップで、敷居を低くして、自分が機械的に手順を実行できるように考える。

頭痛がしたら薬を飲む。焦りや不安があれば頓服を飲む。
水を飲み忘れているから、十時と3時にはお茶を入れる。
居心地が悪くて、全身が痛んだら、シャワーを浴びる。湯たんぽを抱く。足湯につかる。


そういう風に、淡々と対処できるように今努力してる。

体調の悪さやメンタルの具合の悪さを見てみぬふりをするのではなく、また、気が付くこともできないくらい、余裕がなく混乱した状況をやめられるようにしたいと思ってる。

だから、今、機嫌がわるい、余裕がない、混乱してる、理由もなく記憶が蘇って今の時間を邪魔してる、イライラしてる、眠い、疲れている、頭痛がする、焦ってる、切迫感がある、過活動になってる、鬱っぽい、ということをそれぞれ言語化する。

そうして、確認するようにしてる。記録することで、自分の状況を一回外部化して、それを目にして取り込む作業を試してる。


でも、なかなかうまくいかない。
今も、子供が布団まで食器を持ってきて、食べようとして、シーツを汚してしまった。
やっぱりイライラする。
拭くけど、子供はふざけていて、本当にわたしは嫌だけど、わかってくれないので、声を低くして怒る。



気分に振り回されて、したいことを何もできずに無為に過ごす。
自分がモンスターみたいだと思う。気分や感覚がコントロール不能だから。
自分という他人に、言い聞かせてる。
今、あなたは苦しいかもしれない、楽しいかもしれないって。

その気分を、反らさないで、ちゃんと認識したい。
今まで、苦痛を紛らわせてきたから、生き延びたのも確かなことだけども、そのせいで、人生がところどころスキップされて、スカスカになってしまった。
密度が疎だ。

過食や過活動や解離、フラッシュバックしてる間、意識が現実にない。
だから、そこは空白になる。
時間はたってるのに、今という経験が失われてしまって、なかったことになってる。
幽霊の時間だ。


幽霊の時間をなくすために、意識を体にくくりつけたい。
そして体の経験することを覚えていたい。

それが幸せに続く道だと思わない。わかってる。

でも、自分に隠し事をするのはずいぶんしてきた。
そして、隘路に入り込んでた。

わたしは新しくこれからの時間を生きたい。
無為に失われた時間を悼んで、悼みすぎて、生きてるはずの今の時間を過去に費やさないようにしたい。

時間の経過を経験したい。感情をなかったことにしないで、体験や経験を、体の意味を、脳みそという体の一部に返して、自分を生きたい。