しゅごしゅごしゅごーい
こどもがメディアパッドでゲームをしていることが多い。
そして、ときどき手伝ってというようにもってくる。
手伝ってあげると「しゅごーい、てってんしゅごーい、しゅごしゅごしゅごーい」と言って頭をわしわしなでてくれる。
とろけそうに嬉しくなる。なので、子供のこともしゅごしゅごしゅごーいと言って褒める。
それからおままごとをした。レモンやハンバーグのおもちゃを持ってきてくれるので、もぐもぐと食べるふりをすると、はにかんで笑った。
昨日はシャワーで済ませた。バケツの中にお湯を貯めたところに子供を浸からせた。
バケツの中に納まってしまうサイズなのだ。
その中でぞうさんじょうろで水をすくったり、立ったり座ったりして遊ぶ。
時には、体を洗っている最中にお湯をかけてくれたり、シャワーヘッドを奪い去ったりする。
私は何者にもなれなかったなーと鬱屈した気持ちになることがあるけれど、結局のところ、何かになりたいというよりも「しゅごーい」と言われたかっただけみたいだ。
昨日は家族でラピュタを観た。まだ子供には難しいかなと思ったが「シータ」「落ちちゃった」「怖い」などと言っていたのでわかっていたみたいだ。
ちょっと前にはトトロも観た。
子供のころはわからなかったことがいっぱいあった。ナウシカに比べてシータは地味だなとか。今見るとシータは頑張っている。そして無茶もしている。
ドーラに始まってドーラに終わっていることもとってもいい。ドーラって50歳なことも昨日知った。私はドーラみたいになれるだろうか。宮崎さんは散々、女性の描き方がキモイ(パンツ見えてることとか、ナウシカを女神みたいに描いていることとか)と言われてきたけれど、今、若い他の監督を見ると、それに比べると全然まともっていうか、人のことを良く観察しているなと思った。
ドーラ描けるんだからちゃんと女の人のことを見ている。
四十年くらい昔の作品だけど、爆発的な才能だ。こんな人他にいない。
こういうすごい人になりたいなと思っていた。でも、そういう努力をしていなかったし、特化したものもないにはないけれど、些細なことだ。とびぬけた人であることってどんな気持ちなんだろうか?
まだまだ足りないって気持ちがモチベーションになっているんだろうか、それとも自分はすごいなーと思っているんだろうか。実際に自分がそうなれれば、わかるんだろうけど、なれないから、どんな気持ちでいるのか知りたい。
今後、まだ、私が「しゅごしゅごしゅごーい」と言われる可能性はある。なので、ぼちぼち何かをしていたい。
私は、偉くなりたいとか何者かになりたいとかいうけれど、そのもとになる動機は、とにかく、「しゅごしゅごしゅごーい」と言われたいだけなんだなと思った。子供にしゅごいと言われる嬉しさにそれがわかった。ありがたいことだ。
子供は、どんな風に育つんだろうかと気になる。
個人的には、ひきこもりにならないで、自活できるようになってほしいという気持ちがある。
ひきこもると、何も経験を積めないから、ちょっともったいない。
外の世界で試行錯誤してもらえるほうがいい、と思うけれど本人次第な部分がある。
なるときにはなるし、ならないときにはならないし、本人の資質と運と、大家との組み合わせがあるから何とも言えない。
子供が独り言を言っていて、「ちやって、どーあ、あーやー。てー。ぐあっちょ。こーてって。ばちゅ。ほーてって」と言っているように聞こえるけど、何を言っているかわからない。
ご機嫌だと何か歌っているけれど、それもうまく書き留められない。
毎日ちょっとずつ違うから、うまく書き留めたいけれど、表現力が足りないせいか、書き切れない。
ポテトポテトと言っておもちゃ動画を観たがるので、それを押しとどめて出かけることにした。