c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

自分の顔を探す

昨日は美容院に行った。

こまめに美容院に行くといいと物の本に書いてあった。

今朝は、また悪夢を見てしまって午前三時に起きた。

汗をかいていたのでシャワーを浴びて、ついでに習ったやり方で前髪をブローしてみた。

 

 

前髪のブローの仕方は、ブラシ*1を前髪の下にあてて、根元を持ち上げて、軽く引っ張りながら、風を当てる。これだけ。

 

これだけのことに、二十年くらい悩んできたんだなと思った。

美容師さんに聞けば教えてもらえるのに、聞くことを思いつかなかった。

 

 

本を読んで、メイクや髪のスタイリングを改めておさらいして、自分でやってみて、うまくいかなくて、そこで疑問がわいて、ようやく質問できた。手を動かしてやっとわかることはある。できないということがわかる。何ができないのか特定できる。

 

疑問がわかないと質問できない。実際にやってみてうまくいかなくて、初めて質問できる。

 

前髪が決まらないことで惨めな思いをして、ずっと来た。

 

髪を気にすると、母親に「色気づきやがって」と邪魔され、また、その価値観を内面化して、前髪を気にするのはかえってだらしない、堕落だという風に、どこか罪悪感を覚えていた。

 

自分が外見を気にすることに迷いがあった。

 

自分では前髪を整えてはいけないけれど、前髪が乱れていることは恥ずかしい、と引き裂かれた状態で、二十年以上来た。本当に馬鹿らしい。

母親のことを思うと忌々しい思いでいっぱいになる。罵られたり、けなされたり、成人してからも赤ちゃん言葉で話しかけられたりしたことを思い出すから、自分など大した人間ではない、生きていてはいけない人間なのだと思い知らされる。

 

自分は、死んだほうがましなくらい、無価値な人間だ。それで早く死にたくなる。自分が死んだら思い出から解放されて楽になるだろう。私は、自分のことをこういう風に思う。思い出に巻き込まれてしまうと、理性よりも、感傷が、自分を苦しませる。

 

だから、八年以上、会っていない。その間に、伴侶と出会ったり、出産したりと大きなライフイベントもあったけれど、連絡も取っていない。

 

もしも、このまま親が死んでしまっても、それで楽になるとは思えない。罪悪感が刺激されて落ち込むのが目に見えている。

それと同時に優しくされた思い出もよみがえってきて、その優しい思い出が、わたしを責めさいなむ。なぜ親孝行しないのかと。

だから、身だしなみのことをすると、いつも苦しい。母親の影を踏むから。

 

 

それを克服したいと思って、禁じられていた「鏡を見ること」を最近している。そういう決断をした。自分の見た目を工夫する決断だ。

 

鏡を見ると、母親に後ろから怒鳴られる、と思っていまだに身がすくむ。馬鹿にされるだろう。お前なんて見苦しくて当たり前だとメッセージをいつも受け取っていた。母親は、不美人では決してないのに、いつもあか抜けない姿をしていた。彼女だって惨めだっただろう。

 

 

私は、そういう人生を繰り返したくない。母親のコピーとして育てられてきたけれど、これからの人生をコピーしたくない。

 

結婚も出産も、母からの自立の決断でもある。

けれど、それよりも、身だしなみを整えることの方が、わたしには難しい。

うちなる声がそれを妨げる。

その声は母の声だ。

自分の中から母の声で、見た目にこだわるなんてみっともないとちくりと刺される。

だから、身だしなみを整えること、それを決意することが、私にとって、大きな抵抗だ。自分を取り戻し、確立するための戦いへの狼煙だ。

 

 

だから、私は、前髪のブローの仕方を聞く。情報収集もする。それが私の自立であり抵抗であり、人生の歩みだ。いまだに、スカートの裾から、自由になれていないのは、馬鹿みたいだけど、そんな幼稚さを自分に隠していても仕方がない。人には、甘えだとか、自立していないだとか、親のことを悪く言うなんて、それ自体が情けないことだと言われることもあった。

けれど、今、そういう負の感情や幼さや情けなさに対処し、自分で自分をコントロールできているのだから、自立しているといえるだろう。他人の影響をなくすことはできない。

 

負の感情をなかったことにするよりも、あるのだと認めて対処する。

自分で自分の人生の舵を切っている実感が、私をのびやかにする。

 

色気づきやがってみっともない、だれがあんたを見るわけでもない、流行れば鼻水もきれい(流行っていさえすれば、どんな汚い格好も褒められるという意味で使っていたようだ)、と言われたことを振り切って、そういう、葛藤が毎回あるにもかかわらず、私は鏡を見て、現実の私の姿を認識する。彼女は、容姿にとらわれない、見た目を気にしない女性に育てたかったみたいだけど、そういう意図は汲めても、私は惨めだった。

 

女優のように美しいわけでもないけれど、モンスターのようでもない自分。今いる自分。気に入らないところもいっぱいある。気に入らないところを意地悪く探してしまって、ここもだめだと思う。だけど、すれ違う他人のように、友達のように、自分を見る。そうすると、悪いところは見つからない。そう悪くもない温かみのある顔。連れ合いから見れば愛しい顔。

 

 

自分を愛情深く見る人がいるのだから、その人の目で、自分を見るように努力する。

「楽して生きやがって」「あなたはいいね、幸せだよね」と母には言われてきたけれど、当時、私は楽でも幸せでもなかった。お風呂で声を殺して泣いた。

 

母から離れてから、今となってみれば、それなりに苦労もして、人生経験も積んだ。いやな思いをたくさんした。楽しいこともあったはず。だけれど、楽しんではいけないという禁忌と、母親を差し置いて幸せでいるなんてという罪悪感にさいなまれて、人生を損なってきた。怒りがわく。怒りで我を忘れそうになる。

でも、怒ることは、悪いことじゃない。むしろいいことだ。自分の人生の原動力を明らかにする。怒ることで、初めて、自己の輪郭をはっきりさせることができる。

 

 

 

思い出が、私の怒りを呼び覚ます。生きるってことは怒っているってことだ、と思う。抗うこと。唯々諾々と従わないこと。抑圧に慣れて、抑圧者の口真似をして、従わないもののをののしるような人生は嫌だ。嫌なものをはっきりさせること。

 

境界線を引くこと。自分を持ち始めたら、もう一緒にはいられない。どれだけ愛していても、袂を分かつしかないのだ。さようなら愛した人よ。

あなたのことはずっと愛しい。ずっと会いたい。そして呪わしい。怒っている。恨んでいる。だけど、このように強い思いを抱えている間は、会えば私はあなたに人生を譲り渡してしまう。どうすればいいのかわかっている。私は私の人生を生きる。

私はあなたに今も会えない。親子なのに、母にはもう会えない。まだ、ずっと、会えない。母のためにずいぶん生きた。母のために生きてはいけないのだ。自分のために生きるべきだ。

母は、大人だから、自分の面倒を自分でみられるはずだ。私も、大人だから、自分の面倒を自分で見る。

 

 

自分のために、自分本位に怒っていられること。それが私の幸せ。

 

怒りとともに、自分の顔を見る。自分の顔を探す。自分の顔がどんなものだったのか、はっきりしない。イメージできない。鏡を見て、ようやくこんな顔だったのか、と驚きながら、思い出す。

自分の目で鏡を見る。

怒りに燃えた私の目は美しい、と、私は思う。

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森をさ迷うように

 

 

 

 

 

 

 

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*1:ブラシにも種類があり、用途によって違う。別にどのブラシを使ってもいいが、使いやすさが異なる。カールブラシは、根元を立ち上げるのによいし、パドルブラシは、髪にテンションをかけて伸ばし、面を整えて、髪をサラサラにしてくれる。また、パドルブラシのクッションが、頭皮を健やかにする