c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

自分の可能性を信じるために資格を取りたい

今日は、朝、子供の予防接種と自分の耳鼻科の治療に行って、宅建の勉強をした。

ちょっと疲れてしまって、頭が痛い。

 

 

わたしは、資格勉強をしたことがない。

そして、老後の資金が不安なので、塾講師以外にも仕事を探したほうがいい。

資格を取ってから、働けるかはわからないけれど、今の状態よりも、自信が持てると考えた。

 

パートで働けるか、毎日通勤できるか、精神状態はどうなるか、と心配はあるけれど、今は薬もいろいろ増やしているので、まず、資格を取ってから、これらの心配をしようと思う。

 

コンサータとラモトリギンを飲んでから、自分に体力があることを知った。

すごく元気な体を持っている。それが、双極と発達障害によって、疲れてしまって、自分の体が丈夫ではないと思っていたようだ。

 

いつも、出かけるとぐったりしていたので、自分の体は疲れやすいんだと思っていた。そうじゃなくて、情報の取捨選択や、感情の上下で、疲れてしまっていたんだと思う。

 

 

すぐ死にたくなったり、自分はダメだと思ったり、過去のことを思い出して恥ずかしくなって、もうこんなことをしていたら、生きていられないと思い詰めるのも、考え方や認知(好きじゃない言葉だ)、性格がゆがんでいるからだと思っていたけれど、そうじゃなくて、病気が自分を追い詰めていたんだ。

 

 

自分の責任を下ろして、病気のせいにして、自分が楽になるようにしていったほうがいいと思った。

 

そして、病気だから、あれもできない、これもできない、と考えて、逡巡して時間を無駄にして公開するよりも、できないかもしれないけれど、やってみる、という姿勢にしていきたい。

 

それも、「できないとダメだ」と思うと具合が悪くなってしまう。資格勉強は受かるつもりでやる、というのが肝要らしいけれど、そう考えると自分を追い詰めてしまうので「勉強出来たら御の字」と思いながら勉強したい。

 

 

自分の可能性が、病気によってかなり削られてしまったのは切ないことだけれど、これからの自分の可能性は守れる。そして、できなかったことを病気がさせていたことだ、と責任転嫁をすることで、前向きになりたいと思う。

 

病気のことを観察することは、コントロールにつながるからこれからもやっていきたいけれど、病気のことを考えすぎるのは、自分の人生の可能性を減らしてしまうことだから、ほどほどにした。