被害者という言葉
被害者だから自分のことを被害者だと書く。
でも、そうすると「被害者意識が強い」と揶揄される。
被害者だから被害者らしい意識を持っている。けれど、「被害者意識」という言葉にはそれにとどまらない悪意がある。
傷を負って、生還したこと。
わたしは、八年たっていても、まだ一人でエレベーターに乗ることが怖い。後ろに人が立つのが怖い。足音におびえる。
事件があった時間帯に外に出られない。
だから、いつも一人で外出しない。
そういう生活の不自由がある。感じていることや、考えていることがある。それを表現することで、バカにされる。
大体の人は、事件の被害者になったことがない。
重要犯罪者は、100人に1人くらいいる。じゃあ、事件にあった人もそれくらいいる。
それが多いのか少ないのかわからないけれど、身の回りの人が「自分は事件の被害者だ」と語ることはないだろうから(わたしだって、家族を含めて数人にしか話していない、親にも話していない)、「いない」ということになるんだろう。
包丁で刺された人が凶器として使われた包丁全般を使えなくなるように、わたしは、犯人と同じ属性の人が無理になった。キャップをかぶっている人、黒っぽいブルゾンをかぶっている人、白いスニーカーの人、身長170センチくらいの、男性。
騒ぐなと言って首を絞められたこと、殴られて口の中が血の味になったこと。腕の神経が切れて、左手の感覚がなくなったこと。救急車で運ばれて診察されたこと。入院したこと。電車に乗れなくて、会社を辞めざるを得なかったこと。犯人は網走刑務所に行った。犯人は、財産がないから、損害賠償はできなかった。報復が怖いから引越しした。
ファミリーマートで、被害者を物色したって話。弱そうだから選ばれてしまった。そういう後悔と嫌悪。
今でこそ、普通に思い出せるけれど、ずっと、思い出すと、事件のさなかに戻ったようになって、現実が現実ではなかった。
そういうことを、わたしは書いてきて、自分の主張がどういう経験に基づいていて、今どんなことを感じているのか、そういう感情が大事なんだと伝えるために書いてきたけれど「被害者意識」の一言を吐き捨てられて、何もかも台無しになる。
被害者意識という言葉を使う人は、こういうことはわからないんでしょう。どうして不用意に被害者意識という言葉を使うんでしょうか。
どうして人の心からでてくる言葉をつぶすんでしょうか。嗤うんでしょうか。どうして、と聞いても、たぶん、どうしての答えは返ってこないでしょう。それは何も考えてないんだろうから。考えてない人に削られている。むなしい。