c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

家族が大学に通っている

朝、涼しかったので、子供の衣替えをした。

去年の冬服がつんつるてんになっていることに気づき、成長を感じた。

ちょっと寂しいかもしれない。

秋服を出して散らかしたものの、これをどうやってしまおうと途方に暮れてしまった。

というのもまだ暑くなる日があるかもしれないので、Tシャツも少し残しておくからだ。

 

昨日、焼き肉を食べに行った。子供は六枚も肉を食べた。前回は途中で飽きて泣いてしまったけれど、今回は最後までいい子で座っていた。

 

子供も成長する。でも、大人もまだ成長の余地がある。

 

おとといから一泊、家族が大学に行っていた。とても楽しかったらしく、人に会って、いろいろな話ができた、と興奮して話してくれた。

私が彼と出会ったとき、彼は口数が少なかった。今はよくしゃべるようになった。前も話すことがたくさんあったはずなのに、うまく言葉にならなかったようだ。

今は違う。

大学では、疑問に思っていたことの答えがわかるだけではなく、疑問にも思っていなかったことに疑問を抱けるようになる。

大学で出会った人や、講義で聞く、本に書かれていないようなことが刺激的な様子だ。学校なんて意味がない、本を読んでいたら十分なはずだ、という人もいるけれど、生きている人間がその時に思っていることを話し、それを聞く、というのは、得難い経験だ。

それは、対面で、実際に聞くと、わかる。

動画や読書では伝わり切れないメッセージ、熱量があって、それを吸収できるというのは、学校で行われる最も良いことだ。基礎がないまま独学すると、独りよがりになったり、解釈が大きく間違ったり、何よりも寄り道になってしまう。友達もできにくい。

 

彼は、読んだこと、聞いたことを話してくれる。私は勉強したわけではないけれど、そういうことがあるんだと知る。そうすると、わずかでも世界が広がったような気がして、とてもすがすがしい。大人になると、新しいことが減って、内にこもりがちになる。そうすると、時間の流れが速くなってしまう。

 

新しいことを知ること。それは、自分の限界を突破して、マンネリを打破する契機となる。

彼の大学の友達は、資格を目指している人が多いらしい。それを聞くと、自分も勉強しようと思う。周りに人がいないと、そういうことを思いつきもしなくなる。様々な経歴の人がいると、思いもつかなかったことを知って、自分の可能性を試したくなる。敷居が高いと思っていたことが、一歩踏み出せば、実はそうではなかったのだとわかる。

 

彼の友人に、起業をしている人が大勢いる。そういう人がいる、と聞くと、自分でも何か商売のタネはないかと考え始める。

現実にするかどうかはともかく、そうやって頭を使うことはとても気持ちがいいことだ。自分にもまだ可能性があるのだと思える。

実際には可能性なんてないかもしれない。でも、それでもいいんだろう。

それが嘘でもなんでもいいから、自分には可能性があると信じることが、必要なことなんだ。