c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

自己肯定感はなくていい。それより大事なのは具体的な行動

以前に、自己肯定感はなくていいという記事を書いた。

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自己肯定感について考えるときはそもそもつらいとき

今は自己肯定感についてはあまり考えずに済んでいる。

自己肯定感について考えてしまうときは、そもそもつらい時だ。つらくなければそんなもんのこと考えない。

「自信がなくて自己肯定感がないから、くよくよ考えてしまうんじゃないか、自己肯定感を育てないとダメだ」と思ってしまう。てか、人に「あなたは自己肯定感が少ないからダメなんだよ」と言われる。

でも、そういう時に自己肯定感を育てるだとか自分を愛するだとかグリーフワークだとかやるとかえってドツボにはまる。

カウンセリングでしていること

私はカウンセリングを受けているけれど、それでやっているのは、困っていることを具体的に洗い出して、それを具体的に解決できそうな策を相談することの二つだ。

そんなのやっているよ、と思っていたけどカウンセリングですることに割と意味があった。カウンセリングは、治療の一環で病院で受けている。

話すと自分で自分の声を聴くから、それが記憶に結びついて良い。

私は、カウンセリングとは何か、最初何をするのか不明だったから「今日は何をするか説明してから始めてほしい」と見通しを教えてもらうように話した。一回目は意味がないと思って、途中で退席してしまったくらい、カウンセリングには不信感を持っていた。意味わかんなかった。なんで話さないといけないんだ。でも、医師になだめられて続けることにした。

でも、具体的な行動をすることで、困っていることが解決するのは気持ちよかった。軽くなったような気がした。この「軽くなるような気」が大事なんだと思う。自己肯定感を追い求めるより、自信がつくっぽい。

具体的な行動

自己肯定感がない時に必要なのは具体的な行動だ。子育てだって愛情がなくたって、やるべきこと(掃除洗濯食事)をしていたら、愛情があってそれらをしていないよりもましだろう。ベストは愛情をこめていろいろ世話をするのが一番だろうけど、それができないから悩んでいるのであって。

 

また、いつまでもべったり世話をされているのも、子供だって迷惑だという話もある。抱っこをせがまれたら抱っこをし、悪いことをしたらしかる、ってだけで結構クるものがある。私も眼鏡を蹴られると頭が沸騰しそうになる。

 

私は躁鬱で、今は鬱だから「自分はダメだから死んでしまうしかない」とかよくぶつぶつ言っている。でも、死にたいけど死にたいわけじゃないことが最近ようやくわかってきたので、薬を飲んで寝ている。そもそも、そういう不穏な雰囲気が出てきたら事前に薬を飲む。そうするとそういう思考が止まる。気の持ちようでどうにかなるなら医者に掛かっていない。気の持ちようはある程度状態がよくないとうまくいかないように思う。気の持ちようを変えられたらそれがベストなんだろうけど。

朝起きて顔を洗えれば大体それでよい

私は医者に言われているのは、朝起きて顔を洗ったら寝てよいということだ。朝一回でも起きていたらリズムが崩れないからだそうだ。そして寝る。寝ることを責めない。受容する。

受容とは、あきらめが肝心という意味ではないか

私は思うのだけど「あきらめる」ってことなんだと思う、受容というやつは。

受容、すなわち、あきらめが肝心って意味。

受容という言葉と自己肯定感って言葉は似ているようだけど逆だと思う。「あきらめ」と「強迫観念」くらいの。自己肯定感という言葉に取りつかれていると追いつめられる。つまり、自己肯定感=強迫観念。自分を愛そうとかそんなんできたら悩んでない。

私が一番つらかったのは、母親に「自分を愛すための本」を与えられて読まされた時だ。グロテスクだ。

そういうわけで「自己肯定感がないからダメなんだ」と思う人は「あー自分はそういう人なんだからあきらめよう。あきらめて寝よう」くらいなのがいいんじゃないかな。

自己肯定感が低いから悩んでいるとタゲられて余計いじめられるような気がする。「こいつ弱っているからいじめちゃろ」ってなる。

そして「あなたは、自己肯定感が弱いよね、自分を愛さないと愛されないよ」と言われてしまう。なんなら、ダメなスピリチュアルだとか、ダメなマルチとかに吸い込まれてしまう。(スピリチュアル全般がダメとは思ってませんよ。生活の潤いとしてよい。でも、ネットワークビジネスはダメと思う)

自己肯定感と愛されたいはセット

自己肯定感がどうのこうのと言っているときは、たいてい、さみしい時だ。さみしいとか愛されたいとか思っているとき。

でも、一人でぐるぐる考えても仕方がない。知り合いを作って礼儀正しく接し合うとかで良いような気がする。愛してくれと言っても愛されることはない。それは独りよがりだから解決しない。自分で完結しよう!べったりできる相手を求めると破滅する。私は破滅した。別にいい経験でも何でもない。

自分のことなんて愛さなくたって別に構わない。生きていたらいい。実のところ、生きていたほうがいい理由はよくわからないけど。

そもそも、愛されないと困ることって何?別になくない?あきらめよう。

自己肯定感を追い求めてドツボにはまるよりは、あきらめていたほうがましだ。

繰り返すが諦めが肝心。

人生が苦しい時には寝て(できれば)おいしいものを食べる。軽い運動をする。働ければ働いてお金をちょっとでも稼ぐ。

生活の手抜きについては

家事は手抜きすら要求水準が高すぎてつらい - 雑記帳 がおもしろかった。