台風の時には薬を飲む
薬は体に悪いとは言うけれど、病気はもっと体に悪い。
痛みがどんなふうに害なのかわからないから、除去するべき痛みなのか、判別つかない。
前なら鼻詰まりも頭痛も我慢していたのだけど、もうわたしは薬を飲んでしまう。
病気をコントロールするために、わたしは毎日毎食薬を飲んでいる。
それにいちいち呆れ顔をする人はもういないのだから、わたしは薬を飲む。
あの人たちがわたしに及ぼした影響は大きくて、一日に何度も思い出して消えない。
自閉の症状で、フラッシュバックが起きるらしい。
PTSDによるフラッシュバックだけじゃなくて、気温が高くなったとき、道を歩くとき同じ場所で、気圧が変化したとき、食事しているとき、いろいろなことを思い出していつも苦しい。
記憶を消し去る薬があれば、飲むだろうなと思う。頭が振り切れそうなくらい、盗っ散らかってしまっていて、正気を失いつつあるんじゃないかと思う。
いろいろな苦しみがあって、わたしは自分の苦しみが一番苦しい。
誰かの苦しみは感じることができないから、わたしはわたしの苦しみが痛い。
だから、ともすれば、自分の苦しみが最も苦しい種類の苦しみなのだと勘違いしてしまう。
そうすると、周りに人がいなくなって孤独になり、苦しみは行き場を失って、体の中をぐるぐるめぐる。
ふぶいたり、二十度以上になったりが、繰り返されたので、身体にひどく堪えた。
それでわたしは、正気を失ってしまったのだ。
春が来て、子供は初めてばいきんまんといったり、「きらきら、きらきら」と歌ったり、手遊び歌を踊ったりできるようになった。どこまでも歩いていこうとする子供の手を引いて、もしくは後ろからおぼつかない足取りを追う。
もう、愛想を振りまいて、気を使って、自分を抑えることもある子だから、心配で、そしてかわいらしい。
もう死んでしまいたいと思うような切迫感の中で、ぐるぐると台風みたいな激情が襲って、その中に、藁のような正気が浮かんでいて、それをつかもうとする一瞬だけ、ああわたしは今おかしいなと思う。そして、謝りながらまた泣いてしまう。自分の話す声に憤って、余計激高してしまう。
ああ、この子には私がいないほうがいいのかもしれないな、と思う一方で、それはわたしのエゴだ、子供にそんな気味の悪いものを背負わせてはならないと思いながら、わたしはいろいろな薬を飲んだ。