c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

心臓がバクバクする

一週間前から不安で心臓がバクバクするので、SNSから遠ざかっている。

そして、一週間たつけれどあまりよくならない。

 

SNSのほうが、対面よりもストレスが大きいと言っている人がいて、そうだなあと思った。

 

最近は、怒りっぽくイライラしていることにフォーカスしている。イライラするときには、薬を飲んでいるけれど、そうじゃなくて、イライラを自分から遠ざけられるといいなと思う。

過去のことをあれこれ思い出しては、落ち込む。

わたしは常識がなくて、いろいろやらかしてきたけれど、それのほとんどは、双極性の症状に当てはまることだった。

わたしのしてきたことって、個性じゃなくて病気なのかなと思う。

それは、救いにもなるけれど、自分というものが確固として存在しているわけじゃないんだなと思いもする。

 

わたしがしてきたこと、することは、病気の影響を受けていて、自分の意志でしていることがどれだけあるんだろう。

それを言うならば、生きていることだって、自分の意志でしているわけじゃないのだけれど。

生まれてきて育つ過程でどの部分が自分でどれが環境かなんて不可分だということと同じ。

 

 

 

わたしは、記録を取ったり、自己表現することが好きだ。

だから、それをするのにそれ以上の意味はない。

でも、人の反応によっては、プレッシャーを感じたり、悲しくなってしまったりする。

 

 

山高ければ谷深し、という。

子供が好物を食べた後、悲しがって泣く。おいしかったからもっと食べたかったと言って泣く。

 

それと同じように、喜びと悲しみは両輪で、苦しければそれだけ喜びは花開く。

 

葛藤をしない主人公は何をなすこともできず、それは物語になりえない。

困難がなく、壁もない人生は、生きている実感も薄いだろう。

貧乏なら生活に苦しみ、お金があれば、心配事が増える。お金があることで起きるいさかいは醜い。お金があることで得られる自由は大きい。

 

谷と山、光と影。太陽がまぶしければまぶしいほど、影が色濃いように生きていきたい。それしか選びようもないから。