ファイナルファンタジーXIV 光のお父さんのレビュー
光のお父さんを観ました。
映画のクオリティ
日本映画としては稀有なほど、テンポがよく、演技もよくて、FFの音楽も効果的に使われていて、FFファンとしても安心してみられるクオリティだなっと。
無口なお父さんがそれだけで存在感があるのが、さすが役者さんうまいわー…。と思っていたら、普通に感情移入してハラハラしてみたので演技うまいなとかそういうのは忘れました。
もともとFFXIVはやっていたので、お父さんがめっちゃヒルちゃんのポーズするところにうけました。
ストーリーは予想通りと言えば予想通り、予想通りじゃないといえば予想通りじゃない感じでした。最後のところがちょっと意外でした。
アクターとして、実際のプレイヤーが参加しているのは熱かった。そりゃそうか。スタッフが強敵に挑んで同じようなの再現できないもんな。レベル上げからしないとダメじゃんね。
原作のモデルが実際に俳優として参加したのは初めての事例なんじゃないだろうか。
感想
お父さんがいいキャラで、時々出る関西弁がかわいい。
あまり遊んでくれなかった、と言っていたけど、ゲームもしているし、キャッチボールもしているしで、家にいる時間が少ない中でかかわっているほうだったんじゃないかなと思った。だから、岩本君もお父さんのことを知りたいと思ったんだろうし。
レビューっぽいこと書くの難しいですね。
見どころは、やっぱり戦闘シーンじゃないだろうか。タイタン討伐とか。
タイタンはそこまで難しくないけど、イフリートは確かにわかるまで難しいなとか思った。
お父さんがだんだんはじけてって、ゲームが生きがいになるのはいいなと思った。
わたしは、いっつもソロだから、あまりああいう風にチャットしない。チャットしているとその時間で一狩り行けちゃうじゃんって思っちゃうんだよね。あとFFXIVは、ソロのパーティマッチ機能が超充実していて、すぐしゃかる(すぐマッチングできる)から、あまりフレンド申請とかしない。岩本君、ゲームの友達がリアルでもネトゲ内でもいるなんてマメだなあと感心した。ああいう、対人スキルうらやましい。
でも、初心者だからフレンド申請されても話しかけられても、怪しまれないのはその通りだと思った。そういう文化かなと思うよね。
ネタばれ↓
こういう映画だとだいたいお父さん死ぬじゃん。死なないで、最後にヤッホーみたいな感じで出てきたのはよかった。もう、そこが一番良かったよね。まじ。ゲームで生きる生きがいを取り戻すのってよくわかる。
役割がなくなると、生きていられなくなるのも分かる。違う場所で違う役割があると生きていける。
役割がなくても生きていける人もいるんだろうけどさ、われら凡人は幻想がいるんだよ。必要とし必要とされているっていう幻想。退屈な日常を生きるための強力な夢がいるの。人生が長いし短いからその間の退屈を埋めるものが何かしら必要で、それは、子供だとか家族だとかマイホームだとか、出世だとかで。そういう幻想が壊れると、ああいう風になるよね、って思った。
一番はそこかなあ。
家族に自由な選択をさせるために、家族を背負って仕事人間として生きていた。
仕事を辞めざるを得なくて、この世に必要されているというくびきがなくなってしまった。
だから、病気の治療に前向きになれなかった。
けれど、ゲームという場で、違う役割(DPS)を得て、知らない場所で冒険していくうちに、生きること(=感動)を思い出して、治療に前向きになる。もっと、違う場所で違う感動を感じたいから。
つい、この世で役立ってないから死にたいとか思っちゃうんだけど、別に役に立ってなくたって、生きていると楽しい、感動した、心が動かされた、だから明日も生きていようと思うのって超正しいよなと思った。
わたしなんかすぐ拗ねて、「あー、私なんかいなくたってどこにも迷惑かからんと消えるのが一番や」と思ってしまうんだけど、そうじゃないんだよね。自分のために生きるんだよね。
自分のために生きるのって難しいけど。てか、自分のためだけに生きていると自分が要らなくなったときに、すぐ死んでもいいと思うから人のためにも生きなきゃだけど。バランス大事。必要とし必要とされたい。
生きるってことは、体という器を使って中身の経験を増やしていくゲームだよね。レベル上がるし。レベル上げよう。強くなったらラスボスが出てくるかもしれないヤバイ。