c71は生きている

荒いまま思ったことをしがらみなく推敲しないで書く

おうちの人が勉強を教えられなくても別に悪いことではない

 

 

他人が教えるからうまくいく

プロの塾講師でも自分の子供は、塾に行かせるってことは割と普通にある。

勉強を教えるうえで一番大切なのは、「他人」かどうかで、親の資質より、関係性のほうが大きい。

子供の年齢や資質によっては親御さんが教えることも可能ではあるけれど、子供にとっては息が詰まって苦しい状態になりやすい。

たまに、親御さんに家でどういう風に教えればいいでしょうか、うちでできてなくてすみません、と言われるのだけど(嫌味言われているわけじゃないと思う。宿題とかね)、それは難しい。

というのも、生活を回して、子供に何か食べさせて身の回りを清潔にして、生活習慣もつけて忘れ物がないように気を配って仕事して、習い事にお金払っていたら、勉強の時にこれわかんない、と昨日十回教えたことを聞かれるとイラっとするのは誰にも責められないんだよ。

二十回教えたことの二十一回目を教えられるのかっつー

子供って二十回教えても忘れて二十一回目を聞くからねー。

そしてそれも定着するとは限らない。お金をもらっていたらある程度割り切れるし、優しくできるけれど、それが無理だから小学生や中学生は教えないって人もいる。逆に小学生中学生専門の人もいるけれど。小学生中学生って割と意味わからないことを言うし。よく聞けば意味は分かるけどよく聞くのって難しい。一時間くらいかけて真意がわかる感じだけど親子でそれができるかっていうと夕飯の時間になるとかあるじゃん。

まあ、生徒はみんなかわいいし、親御さんにとってもめっちゃかわいいどころではないお子さんなんだから、そのお子さんを預かって成果を出さないわけにはいかない立場だから。

おうちの人にダメ出ししてもあまりいいことない

晒上げたいつもりもないんだけど、ちょっと水差さないといけないなっていうのは、この人、親御さんにダメ出ししているのね。アドバイスという名の。引用元。親切なんだろうと思うけど。若干、突っ込みを入れたい。

おうちの人ってもう頑張っていると思うすでに。みんな。勉強の子と心配しているような家の人は、放置ってわけじゃないんだから。

勉強を何とかしようという意欲のあるおうちの人の場合、たいていの場合すでにいろいろ試していたり、生活することでがんばっているので、ダメだしするのはよくない。岡目八目で、部外者がたまに適切なことが言える場合もあるだろうけど、この場合会社の人だから、遠慮してうまくいきましたって言っているだけかもしれない。

こういっちゃなんだけど、プロじゃないからクレームもないわけで、クレームできない間柄というのは、あとくされもあるしね……。まあ、私だってそんないい教える人ってわけじゃないけど。

おうちの人が勉強教えられないからって何一つ悪くない

一番言いたいのは、おうちの人が勉強教えられないからと言って、何一つ悪くないわけよ。

勉強を教えられないのは悪いことではない。

アドバイスの通りにやっても、うまくいかない人は悩むだろうな、と思うのがまず一つ。

そして、たいていの人は、ほめ方なんて苦労して工夫しているんだと思うのねすでに。

うまくいったという人が本当にそれでいいんなら、ハッピーな話だけど。

子供が成長したらダメになるかもしれない。

これって、教える側教えられる側の力関係と関係性と本人の資質と年齢の話で、小学生なら教えられるけど、高校生は無理になったりするじゃないですか。当然。

塾がいっぱいあるのは、そして、先生のレベルがそれほど高くない塾でもつぶれないのは、それでも、親が教えるよりも他人が教えたほうが成果があるからなんだと思うんだよね。そういう需要だよね。あと、他人に教わるって、子供にとって息抜きになるという側面がある。学校の先生と親以外の大人と話す機会って、習い事と塾だけだもん。

あと親せきか。

褒めればいいってわけじゃないのだ

ほめるのも、難しい話で、何でも褒めたらいいかっていうとそうじゃない場合がいくらでもある。

ほめ殺しがいやだとか、うそっぽいから嫌、意味なく褒められるのは気持ち悪い、というのもある。大人だってそうじゃない?

間違った問題をスルーするのは、成績上位の子にしたら不適切な対応だし、そこはさらっと解き方を整理してあげたほうがいい。

てか、大事なのは褒めるとか褒めないとかじゃなくて、解き方を教えることなんだと思うんだよね。勉強を教えることの本質はね。そこをきちっとやっていたら、まあ喜ぶよたいてい(もちろん例外はあります)。親に言われて仕方なく来ている子も、知らないことを知ったら知る喜びがあるし。

信頼関係を築くためにほめるのはアプローチとしてするし、モチベーションが上がるためにはする。けど、一番モチベーションが上がるのは、わからなかった問題が解けるようになる瞬間だと思うので。

考え方、読み方、方法、なんといってもいいんだけど、私がするのは以下のようなことです。

まず、困った状態なら、その状況を整理してあげて、どこがわからないのか聞く。これができればすでにできる子なので、あまり教えることがない。たいていの子は、わからないところがわからないなら、それがどこなのか観察して、どこがわからないのかわからないのがどこなのか教えて、そのうえでわからないところがわかるようにする。

どうしてって聞いちゃいけないって上記の人は言っているけど、そういう意味ではどうしてわからないのか、聞くのは有効でもある。

 

聞き方は工夫がいるけれど、授業中寝ているからわからないとか、教科書のすべてが実はわからないから、とか、読み書きができてないとか、掛け算から躓いているとか、そういう問題が隠れている場合もあるから。

そして、その次に、生徒さんが自分でできるようになるよう教える。わからないところがわからない子を親御さんが教えるのはむずかしいでしょー。なんでわからないのどこがわからないのどうしてわからないのってなるよ。

 

わからないところがわからないという問題があるなら、それをじっくり見てあげないといけない。それを解決するためには自分でどうしたら解決するのか、自力でできることがあるのか、勉強時間はどれくらいとればいいのか、習慣づけをどうするのか、そもそも勉強とはどういうことをするのか、とか教える。勉強の仕方がわからないんすよ。

そして、生徒自らのアプローチの方法ね。困った時にどうするか、とか。まあ、私に聞いてもらう場合が多いんだけど。

わからないところはどこなのか、わからないところがわからなかったら、どうしたらそれを特定できるのか、どうやってアプローチするのか、どのくらいの量するのか、いろいろ考えることはある。

私がよくやるのは、信頼関係が築けたら、わからないところに付箋を貼って持ってきな、と伝えて、時間中ずっとそれをすると面白いくらい伸びる。そのページのどこがわからないとかじゃなくてこの辺のすべてがわからないとかでもいいよ、って。わからないところに付箋貼るだけでも頭は使うもんね。

ということを私は考えてしているんだけど、どうだろうか。こういうのは、他人だからできるんであって、人の事情にかなり立ち入ることなので、それを親にされて素直に聞ける子ってかなり希少だと思います。親に見せたくないことってあるじゃないですか。


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