もっとうまくやれたらよかったのに日記
夕べも膝にのせて寝かせた。
今までコロナで自粛していた。だから毎日散歩に行っておやつを食べさせてご飯を上げて昼寝をさせてちょっと遊んでからおやつ、夕飯、遊ぶ、お風呂、歯磨き寝かす、というルーティンだった。
自粛がやや緩んできたので、保育園に再び通わせている。
私はとてもさみしい。
保育園から帰ってきたら、そんなに遊べるわけでもなくて、食事をさせて、ちょっと戯れてからお風呂に入れて寝かせるだけだから。
私は病気が理由で保育園に預けている。自分の調子が良ければ、保育園に預けずとも毎日子供といられるのになあと思う。
私があのとき、産後鬱にさえならなかったら、もっと一緒にいられたのにと思うと胸が苦しくなる。
自分のせいで幸福を手放したのだと思う。保育園に通わせるのは仕方がなかったとしても、ときどきは休ませて一緒にいたかった。夫が、休ませるとリズムが崩れると主張したから、休ませにくかった。もっと強く主張すればよかった。
私は、夫がいうことに唯々諾々と従うところがあって、そういうところが自分で嫌いだ。
男の人が言うことは正しいってどこかで思っているのだ。気を抜くとそうなる。
もっと自分の都合で休ませたいと強く主張するべきだった。
赤ちゃんの時代は返ってこないのに。本当に嫌だ。苦しい。
ネットとかTwitterとかももっと控えるべきだった。そのために、子供の観察に集中できなかった。子供を育てるのが楽しいというのもあるけれど、見ているのが楽しい。いろいろな表情やしぐさを見ているのが楽しい。一緒に何かするのが楽しいというよりも、喜んでいたり泣いていたりするのがおもしろい。だから、そうじゃないものを眺めていたので自分を呪っている。後悔ばっかりだ。
私は自分の人生やしていたことを後悔する比率が高い。
人生が失敗したと思っている。客観的に見れば、順風満帆だといえるけれど主観的にはあの時もこの時も失敗していると考えている。
子供の赤ちゃんの頃を満喫できなかったのも失敗だと思っている。
子育てに失敗したとは思っていないけれど、自分の態度が失敗だったなあと思うときがある。
子供はすくすく育っていて、毎日楽しそうに過ごしているし、にこにこしている。
だから、たいていのことはいいんじゃないかとも思うけれど、やっぱりさみしい。
贅沢な悩みなんだろうけれど、自分としては苦しい。けっこう見ていなかったと思う。大事なところを。
その一方で気持ちが不安定になる病気のわりにうまくやっていると思う。
だから、まあまあいいんだと思いたい。
いろいろな人の助けを借りて、なんとかかんとかやってきているんだから、高望みはしないで生きたいというのが目標かな。
それにしても、年取ってから産んだ子供だからか、とにかくかわいい。
おにーにおいちーね、つまり「おにぎりおいしいね」ということだ。
あーゆーこーあーゆーこというと、トトロの散歩道だってことがわかる。
ばしゅ(バス)、ねんしゃ(電車)、ひーぽー(パトカー、収集車、救急車、消防車)がいると「ぴてぴて(みてみて)、てってんぴてー(ママ見て)ひーぽー」と言って教えてくれる。
こいのぼりがあったら「ちゃかな、パパ、ちゃかな、おいれー(おいでー)おいれー」と言ってくれる。本物の生の魚を見ても「しゅごーい、ちゃかなー」と細い声で言う。
今はやっているのはぎっこんばったんという遊びで、手をつないで立ったまま後ろに倒れるのを引き寄せるというものだ。
あとは、ブランコも流行っている。両手をつかんで持ち上げて前後に揺らすのだ。
笑い方は、悪いことをしているときは「げはげは」みたいな感じで、嬉しい時には「きゅらきゅら」みたいな感じだ。
今日は、保育園に送って行ったら、ひとつ下の、今まで行っていた教室に走って行って、ドアをトントンしていた。
まだ、新しい学年に慣れないのだ。ちょっと切ない感じがした。
赤ちゃんのクラスで、小さい子も見せてもらった。赤ちゃんは、手も足も本当に小さくて、まだ人生にきょとんとしている感じだ。
こんなに小さかったのね!毎日大きくなったねと驚くばかりで、こんなに小さいんだと思うことが少なかったから、びっくりする。
子供を育てるまでは猫とか犬のほうが赤ちゃんよりかわいいと思っていたけれど……。今は、違う種類の可愛さだなと思う。
子供を育てるのは、本当に面白い。今まで知らなかった景色を見る。